素晴らしい言葉たち

KMと申します。オナ禁✖自己改善で人生に輝きを!!

オナ禁日数を重ねることを目的としてはならない。

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オナ禁を志す理由はなんだろうか。

・モテたい

・自分を変えたい

・何らかの成果を出したい

人によって様々だろう。

僕自身、ブログでオナ禁日数を公表しているが、

それは「見る人が見て、具体的に数字として、どの程度禁欲を続けているのか」

ということを実感できた方が、ブログとしては面白いからだ。

しかし、オナ禁日数を重ねることを目的としてはならない。

オナ禁を知りたての僕は、この罠に落ちていた。(オナ禁ダークサイド)

ちなみに、ブログではオナ禁日数を数えているが、日常では、ほぼ意識していない。

 

というのも、「オナ禁日数を重ねる」という行為そのものでは、

本来の目的、例えば「自分を変える」という目的の達成に結びつかない。

もちろん、ポルノを見なくなったり、シコシコしなくなったりという面で自分の変化を実感するかもしれないが、あくまでもそこで頭打ちだ。

結果を大きく動かしたくば、「オナ禁✖行動」だ。

(僕の場合は、オナ禁✖自己改善)

オナ禁が日数によって、人によって効果が違うのは、その人が生まれ持った素養だったり、成長過程で身に着けた教養だったりする。あるいは元々イケメンだったり。日数というものは、効果を保障する絶対的なものではないのだ。

だから日数に拘ると、リセット時に極端なまでに自己嫌悪に陥ったり、短い禁欲期間の人を馬鹿にしてしまったりする、偏った思考が染みついたりすることもある。

僕が思うに、オナ禁アプリが生み出した弊害がこれで、日数が「何かの称号」、「或いは偉大な効果を生み出す!」などと勘違いしてしまう禁欲者を急増させてしまったのではないかと感じてならない。

 

確かに、禁欲の日数を重ねることは、素晴らしいことなのだが、それはそれ以上のことでも、それ以下のことでもなく、ただ「その日数、禁欲しました」という証でしかないのだ。

日数をカウントすることで、モチベーションが上がるならまだしも、

失敗したときに自己嫌悪に陥る人が多すぎる。

恐らく、その人々は「オナ禁日数を重ねること」が目的と化してしまっているのだ。

どうかもう一度、思い出してほしい。

初めてオナ禁に出会ったとき、自分はどうなりたいと思い描いただろうか。

決して日数を重ねることが目的ではなかったはずだ。

オナ禁が市民権を獲得して以降、本来のオナ禁のあるべき姿を失いつつある。

そこに必要なのは日数ではなく、何度でも立ち上がるあなたの姿だ。